日本初の銀行はどこ?渋沢栄一の第一国立銀行からみずほへの真相
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:日本初の銀行は1873(明治6)年に誕生した「第一国立銀行」であり、現在の東京都中央区日本橋兜町に創業された。
- 要点2:「国立」と名乗りつつも国営ではなく、渋沢栄一が起草した国立銀行条例に基づく「日本初の株式会社形態をとる民間銀行」であった。
- 要点3:第一国立銀行は紙幣発行権の返上や普通銀行への転組を経て第一銀行、第一勧業銀行となり、現在のみずほ銀行(みずほフィナンシャルグループ)へと受け継がれている。
【結論】日本最初の銀行はどこ?名前に隠された「第一国立銀行」の正体
日本で最初の本格的な近代銀行として設立されたのは、1873(明治6)年7月20日に創立総会を開き、同年8月1日に営業を開始した「第一国立銀行」です。創業の地は、現在も日本の金融街として知られる東京都中央区日本橋兜町(旧・兜町1番地)でした。
ここで多くの人が直面する最大の謎が、「国立」という名称です。現代の感覚では「国立=国営・国の直営機関」と受け取られがちですが、第一国立銀行の実態は純粋な民間資本による株式会社でした。当時の大蔵少輔(次官)であった井上馨や大蔵大丞・渋沢栄一らがアメリカの「ナショナル・バンク法(National Bank Act)」を模範として金融制度を設計した際、制度に基づいて認可された銀行を「国立銀行(National Bank)」と直訳したことが原因です。
つまり、第一国立銀行とは「国の法律(国立銀行条例)に基づいて設立され、独自の紙幣(国立銀行紙幣)を発行する特権を与えられた民間の商業銀行」を指していました。国の資金で運営されていたわけではなく、民間の豪商たちが資金を出し合って設立された株式会社の第1号でもあります。

渋沢栄一が挑んだ創業の真相|国立銀行条例の制定と日本金融史の夜明け
第一国立銀行の誕生は、明治政府の官僚であった渋沢栄一が主導した一大国家プロジェクトでした。明治維新直後の日本は、各藩が独自に発行していた藩札や、新政府が乱発した不換紙幣「太政官札」が市場に溢れ、通貨の信用は失墜。貨幣制度の統一と近代的な金融流通の確立が国家存亡の急務となっていました。
渋沢は1867年のパリ万国博覧会随行時にヨーロッパの近代銀行制度をつぶさに観察し、個人の富をプールして大規模な事業へ循環させる「合本(がっぽん)組織」の威力を痛感していました。帰国後、明治政府の大蔵省に入省した渋沢は、伊藤博文らが持ち帰った米国金融制度の調査報告を基に、1872(明治5)年「国立銀行条例」を起草・制定します。
当時の一次史料である自叙伝『雨夜譚』において、渋沢は設立時の生々しい苦闘をこう述懐しています。当時、金融実務を一手に握っていた二大豪商である三井組と小野組に対し、渋沢は「私利を捨て、国家のために力を合わせて銀行を作るべし」と説得を重ねました。互いにライバル関係にあり、単独での銀行設立を望んでいた両替商たちを合流させ、資本金250万円(当時)を集めて誕生させた組織こそが第一国立銀行でした。渋沢は銀行設立を見届けると大蔵省を辞職し、自ら総監役(のち頭取)に就任して民間人として日本の金融インフラの指揮を執ることになります。
【徹底比較】第一国立銀行・三井銀行・日本銀行の決定的な違い
日本の金融黎明期を理解する上で混乱しやすいのが、「第一国立銀行」「三井銀行」「日本銀行」という3つの組織の位置づけです。それぞれが担った役割と現在の姿を整理した比較データは以下の通りです。
| 銀行名 | 設立年・根拠法 | 創業の性格と紙幣発行権 | 現在の承継先・形態 |
|---|---|---|---|
| 第一国立銀行 | 1873年(明治6年) 国立銀行条例 | 日本初の銀行(株式会社形式) 当初は国立銀行紙幣を発行 | みずほ銀行 (都市銀行・メガバンク) |
| 三井銀行 | 1876年(明治9年) 国立銀行条例の例外規程 | 日本初の民間専業銀行 紙幣発行権なし(私立銀行) | 三井住友銀行 (都市銀行・メガバンク) |
| 日本銀行 | 1882年(明治15年) 日本銀行条例 | 唯一の発券中央銀行 国の通貨管理・銀行の銀行 | 日本銀行 (認可法人・中央銀行) |
日本初の「銀行」という包括的な枠組みでは第一国立銀行が最初ですが、「国立銀行の枠組みにとらわれない日本初の純民間専業銀行」としては1876年に三井組が単独設立した三井銀行(現在の三井住友銀行の前身)が挙げられます。
一方、紙幣発行の乱立によってインフレが激化すると、大蔵卿・松方正義の主導によって1882年に日本銀行が設立されました。これに伴い第一国立銀行などの各国立銀行は紙幣発行権を失い、純粋な普通民間銀行へと役割を変えていくことになります。

第一国立銀行から「みずほ銀行」へ|第一勧業銀行を経た合流の軌跡
第一国立銀行がどのようにして現在のみずほ銀行へと繋がっていったのか、その変遷の歴史は日本の金融再編そのものです。
1896(明治29)年、20年の営業免状期間が満了した第一国立銀行は、民間普通銀行へと改組し「株式会社第一銀行」へと改称しました。渋沢栄一の理念を受け継ぐ名門銀行として発展し、日本の主要産業への投融資を主導します。その後、戦時統合による帝国銀行時代(三井銀行との一時的合併)と戦後の再分離を経て、1971(昭和46)年に大きな転機を迎えます。
国策銀行としての出自を持ち、宝くじ業務や長期金融に強みを持っていた日本勧業銀行と第一銀行が対等合併し、「第一勧業銀行(DKB)」が誕生しました。ハートのシンボルマークで広く国民に親しまれた第一勧業銀行は、当時日本最大の預金量を誇る都市銀行として君臨します。
さらに金融ビッグバンとバブル崩壊後の金融再編の波の中、2000(平成12)年に第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の3行が経営統合を発表。2002年に再編・誕生したのが現在のみずほ銀行です。第一国立銀行の金融コード「0001」は、現在もみずほ銀行にそのまま継承されており、日本の銀行第1号としての矜持がシステム上にも残されています。
一般に知られていない盲点とネットの誤解|「国営銀行」ではなかった理由
WEB上の知恵袋やSNSでは、「日本銀行が日本最初の銀行ではないのか」「第一国立銀行は国の直営だったのではないか」という誤解が頻繁に見受けられます。この誤認が生じる背景には、当時の極めて特殊な制度設計があります。
明治政府は当初、金貨との引き換えを約束する「兌換(だかん)紙幣」の発行を国立銀行に義務付けていました。しかし、激しい金貨の国外流出と財政難に直面した政府は、1876(明治9)年に国立銀行条例を大幅に改正します。正貨兌換義務を緩和し、政府発行の不換紙幣(金禄公債など)を準備金として紙幣を発行できるようにしたのです。
この規制緩和によって、秩禄処分で家禄を失った旧士族層が公債を元手に全国で銀行を次々と設立。全国に「第百五十三国立銀行」まで合計153行もの国立銀行が林立することになりました。現在も地方銀行に「第四北越銀行(旧第四)」「十六銀行」「七十七銀行」「百十四銀行」といった数字のつく「ナンバーズ銀行」が存在するのは、この国立銀行条例に基づく設立順の番号に由来しています。
このように、国立銀行とは国が直営した組織ではなく、民間の活力を引き出して旧武士階級を救済しつつ、地方経済を活性化させるための「認可制民間インフラ」だったというのが歴史的な事実です。

【実態検証】歴史の舞台「第一国立銀行 発祥の地」を歩く|兜町の現在地
第一国立銀行の創業地である東京都中央区日本橋兜町は、現在どのような姿になっているのでしょうか。東京証券取引所を擁する兜町の一角、現在のみずほ銀行兜町支店の敷地内には、重厚な赤御影石で作られた「銀行発祥の地」記念碑が今も静かに佇んでいます。
創業当時の第一国立銀行の社屋は、名工・二代清水喜助が手掛けた擬洋風建築の傑作として知られ、浮世絵にも盛んに描かれた東京の新名所でした。城郭のような天守閣を模した塔屋と西洋風のアーチ窓が融合したその偉容は、新しい時代の象徴として当時の人々に鮮烈な驚きを与えました。
現在のみずほ銀行兜町支店の外壁には、当時の擬洋風建築の社屋を描いた巨大なレリーフが埋め込まれており、金融関係者や渋沢栄一ファンが訪れる歴史スポットとなっています。近年の兜町エリアは「KABUTO ONE」をはじめとする先進的な再開発が進み、フィンテックや新興スタートアップが集う街へと変貌を遂げていますが、その原点には150年以上前に渋沢栄一が拓いた銀行発祥の精神が息づいています。
【プロの結論】合本主義の原点から学ぶ現代ビジネスのガバナンスと教訓
渋沢栄一が第一国立銀行の設立を通じて実証しようとしたのは、単なる資金の貸付機関を作ることではなく、「合本主義(がっぽんしゅぎ)」という資本主義の健全なガバナンスモデルでした。合本主義とは、公益を追求するために最適な人材と資金を集め、事業の発展を通じて社会全体に富を還元していく思想です。
現代の企業経営において、短期的な利益追求や株主至上主義の行き過ぎによる不祥事、組織のガバナンス不全がしばしば問題視されます。渋沢は『論語と算盤』の中で、道徳と経済活動が一致しなければ企業の永続的な繁栄はあり得ないと説きました。第一国立銀行の誕生劇は、利害が対立していた三井組と小野組を大局的な公益のために結びつけた「利他と共創」の結晶でした。
【実践の視点】銀行史と渋沢思想を学ぶべき人・慎重に扱うべきケース
- 深く学ぶべき人:
- 新規事業の立ち上げや業界再編に関わる経営者・リーダー(多様な利害関係者を巻き込む合本主義の合意形成プロセスが指針となる)
- ESG投資やサステナビリティ経営を推進する実務担当者(公益と収益性の両立という150年前の原点に触れられる)
- 解釈において慎重になるべき点:
- 当時の制度を単純に現代の金融機関に当てはめること(明治初期の金融システムはインフレ乱発や公債処理などの試行錯誤の連続であり、現代の高度なリスク管理手法とは前提条件が異なる点に留意が必要)
【日本初の銀行】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:日本で一番最初にできた銀行の名前と場所はどこですか?
A1:日本初の銀行は1873(明治6)年に設立された「第一国立銀行」です。創業地は現在の東京都中央区日本橋兜町(現在のみずほ銀行兜町支店の場所)でした。
Q2:なぜ「国立」という名前なのに民営銀行だったのですか?
A2:アメリカの「ナショナル・バンク法」を翻訳して「国立銀行条例」を制定した際、国の法律に基づいて紙幣発行の認可を受けた銀行を「国立銀行」と直訳したためです。国営ではなく、民間の出資によって作られた日本最初の株式会社形態の銀行でした。
Q3:第一国立銀行と三井銀行はどちらが日本初なのですか?
A3:銀行という形態全体としては1873年に設立された第一国立銀行が日本初です。一方、国立銀行条例の枠外で純粋な民間の商業銀行として1876年に設立された「私立銀行の第1号」としては三井銀行(現・三井住友銀行)が日本初となります。
Q4:第一国立銀行は現在どこの銀行になっていますか?
A4:第一国立銀行は普通銀行の「第一銀行」となり、1971年に日本勧業銀行と合併して「第一勧業銀行」となりました。その後、2000年から2002年にかけて富士銀行・日本興業銀行と統合し、現在はみずほ銀行(みずほフィナンシャルグループ)になっています。
まとめ:日本の近代資本主義を切り拓いた金融システムの原点
日本初の銀行「第一国立銀行」の誕生は、単なる一金融機関の創業にとどまらず、封建制から近代国家へと脱皮するための血液循環システムを創り出す挑戦でした。渋沢栄一が蒔いた「個人の富を社会の公器へと集約する」という種は、150年以上の歳月を経てメガバンクや全国の地方銀行へと形を変え、現代の日本経済を支え続けています。
新しい時代を迎えた今、私たちが使う通貨や銀行口座の背景にある壮大な歴史ドラマと先人たちの志を振り返ることは、これからの不確実な経済社会を生き抜くための確かな道標となるはずです。 (出典: 日本 初 の 銀行(Yahoo!ニュース))