名門・東関部屋の閉鎖理由はなぜ?曙や高見山の名門が辿った真相と現在

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名門・東関部屋の閉鎖理由はなぜ?曙や高見山の名門が辿った真相と現在
名門・東関部屋の閉鎖理由はなぜ?曙や高見山の名門が辿った真相と現在
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🎵 名門・東関部屋の閉鎖理由はなぜ?曙や高見山の名門が辿った真相と現在

大相撲の歴史において、外国出身力士のパイオニアとして一時代を築き、数々のスター力士を世に送り出した東関部屋。外国出身初の横綱となった曙や、個性的な取組で国民的人気を誇った元小結・高見盛(現・東関親方)らを輩出した屈指の名門相撲部屋でした。

しかし、2021年4月をもって東関部屋はその看板を下ろし、同じ高砂一門の八角部屋へ統合・移籍される形で35年の歴史に幕を閉じました。なぜ多くのファンに愛された名門部屋が閉鎖に至ったのか。葛飾区柴又の跡地の現況や、部屋を支えた歴代親方・力士たちの足跡、そして現在の状況まで、角界の激動のドラマを徹底取材の視点から紐解きます。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:東関部屋は2021年4月に閉鎖され、14代東関親方(元高見盛)や所属力士らは八角部屋へ移籍・統合された。
  • 要点2:最大の閉鎖理由は、2019年末の13代東関親方(元幕内・潮丸)の41歳での急逝と、それに伴う経営難やコロナ禍での新弟子確保の難航だった。
  • 要点3:葛飾柴又に新築された相撲部屋の跡地は地域施設等へ転用され、受け継がれた名跡と魂は八角部屋の土俵で今も息づいている。

【栄光の歴史】初代東関親方(高見山)の創設と第64代横綱・曙の誕生

東関部屋の歴史は、1986年(昭和61年)2月に始まります。高砂部屋から独立した初代東関親方(元関脇・高見山大五郎)が、外国出身の親方として角界史上初めて部屋を創設しました。

初代親方はハワイ出身ならではのパイプを活かし、同じハワイ・オアフ島出身のチャド・ローウェン(後の第64代横綱・曙太郎)をスカウト。恵まれた体格と猛稽古によって曙を外国出身初の横綱へと育て上げ、大相撲史に燦然と輝く金字塔を打ち立てました。曙と若貴兄弟(若乃花・貴乃花)が繰り広げた激闘は「若貴曙ブーム」として社会現象を巻き起こし、東関部屋は名実ともに角界のトップクラスの部屋へと駆け上がりました。

その後も、独特の気合入れと泥臭い相撲で絶大な人気を集めた「角界のロボコップ」こと元小結・高見盛や、堅実な取り口で土俵を沸かせた元幕内・潮丸など、個性的で実力派の関取を次々と土俵へ送り出しました。

【激震の転換点】13代東関親方(元潮丸)の早すぎる死去と部屋存続の危機

2009年に初代東関親方が停年(定年)退職を迎えると、部屋の看板は愛弟子である元潮丸へと引き継がれ、13代東関親方が就任しました。13代親方は墨田区東駒形にあった部屋の施設老朽化などを契機に、2018年には葛飾区柴又へと部屋を新築移転。地元商店街や地域住民との交流を深め、地域密着型の相撲部屋として新たな黄金期の再建を目指していました。

ところが、移転からわずか1年あまりが経過した2019年12月、相撲界に衝撃が走ります。13代東関親方が41歳という若さで血管肉腫(がん)により急逝したのです。部屋の大黒柱であり、移転プロジェクトを牽引していた若き師匠を突然失ったことは、部屋の存続基盤を根本から揺るがす致命的な事態となりました。

急きょ、部屋付き親方であった振分親方(元高見盛)が14代東関親方を襲名して師匠の座を継承。さらに、現役最古参として長年部屋を支えてきた元十両の華王錦らベテラン力士が若い衆を鼓舞しながら土俵を守ろうと奮闘しました。しかし、師匠の突然の不在は運営体制にあまりにも重い影を落とすことになります。

名門・東関部屋はなぜ閉鎖されたのか?八角部屋への統合移籍を決断した理由

師匠急逝という悲劇を乗り越えようとした東関部屋でしたが、2021年4月、日本相撲協会理事会において正式に八角部屋への統合(閉鎖)が承認されました。なぜ名門の看板を降ろさざるを得なかったのか、そこには複合的な決定打が存在していました。

第一に、柴又へ新築移転した直後だったことによる莫大な財務・維持負担です。部屋の維持管理費や建設に伴う費用負担が重くのしかかる中、師匠の急逝が重なり、経営面での立て直しは極めて困難を極めました。

第二に、力士数の減少とコロナ禍による新弟子スカウトの難航です。当時、現役力士は一桁台まで減少しており、2020年から世界を襲ったパンデミックによって相撲界全体のリクルート活動が凍結。新規の入門希望者を確保する道が断たれてしまいました。

第三に、指導体制の持続可能性です。誠実な人柄で知られる14代東関親方(元高見盛)ですが、突然の師匠就任に伴う重圧は計り知れず、後援会組織の維持や部屋経営全般を単独で背負い続けるには限界がありました。所属する若い力士たちの稽古環境と将来を守るため、高砂一門の総帥である八角理事長(元横綱・北勝海)率いる八角部屋への合流という苦渋の決断が下されたのです。

葛飾柴又にあった東関部屋の跡地は現在どうなっている?

葛飾区柴又に建設された旧東関部屋は、当時「男はつらいよ」の舞台として知られる下町に誕生した相撲部屋として、地元から熱烈な歓迎を受けていました。稽古場の公開や地域イベントへの参加など、下町情緒と大相撲の新たな共生モデルとして期待を集めていた場所です。

部屋の閉鎖後、この柴又の施設は相撲部屋としての役割を終えました。頑丈な鉄筋構造と広い稽古場・居住空間を備えた建物は、角界を離れた不動産管理の手続きを経て、地域の福祉関連施設や民間事業者への転用が進められました。現在、建物周辺にかつての「東関部屋」の看板はなく、のぼり旗がはためく光景は見られませんが、下町の歴史の一部として地元住民の記憶に刻まれています。

東関部屋の所属力士や親方衆の現在|八角部屋での歩みと活躍

八角部屋への統合後、東関部屋に所属していた力士や親方衆はそれぞれ新たな道を歩んでいます。

14代東関親方(元高見盛)は、八角部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたるとともに、日本相撲協会では審判委員などの重責を歴任。本場所の土俵下で厳しい眼差しを向ける姿は、今なお多くの相撲ファンに親しまれています。

移籍した所属力士たちも、横綱・北勝海が築いた八角部屋のハイレベルな稽古環境のもとで土俵に上がり、力士人生を全うしました。また、屋台骨を支え続けた元十両・華王錦は統合直前の2021年3月場所限りで現役を引退し、相撲界に確かな足跡を残して第二の人生へと踏み出しています。

なお、初代東関親方である高見山(ジェシー・クハウルア氏)も、高齢となった現在も相撲界の発展を温かく見守り続けており、その開拓者精神は弟子たちを通じて現代の土俵にしっかりと受け継がれています。

東関部屋の再興の可能性は?名跡継承と大相撲界の未来図

「東関」の名跡は、大相撲の伝統ある年寄名跡の一つです。現在も14代親方が名跡を保持しており、形式上は独立して部屋を再興する権利を有しています。

しかし、現代の大相撲界において相撲部屋を新設・維持するには、厳しい師匠資格要件、多額の資金力、そして十分な弟子数を集めるスカウト力が不可欠です。力士の絶対数が減少傾向にある近年の相撲界全体の潮流を考慮すると、短期的に東関部屋が単独の相撲部屋として再興される可能性は極めて低いのが現実的な情勢です。

とはいえ、八角部屋の強固な基盤の中で「東関」の系譜が守られていることは大きな意義を持ちます。将来的に有力な後継者が現れ、環境が整った際には、再び「東関部屋」の看板が掲げられる未来もゼロではありません。

【東関部屋】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:東関部屋の歴代親方は誰ですか?
A1:創設者である初代(12代)東関親方(元関脇・高見山)、2009年に継承した13代東関親方(元幕内・潮丸)、そして2020年から跡を継いだ14代東関親方(元小結・高見盛)の3代です。

Q2:東関部屋が閉鎖された一番の理由は何ですか?
A2:2019年12月に13代親方が41歳の若さで急逝したことによる指導・経営体制の打撃が最大の要因です。葛飾柴又への移転直後の財務負担やコロナ禍による新弟子確保の困難が重なり、力士たちの育成環境を守るために八角部屋への統合が決定されました。

Q3:横綱・曙は東関部屋の力士だったのですか?
A3:はい、曙太郎は初代東関親方がハワイからスカウトし、東関部屋から初土俵を踏んだ生え抜き力士です。1993年に外国出身力士として史上初めて第64代横綱へ昇進し、部屋の黄金時代を築きました。

まとめ:名門・東関部屋が角界に残した偉大な足跡と記憶

名門・東関部屋の閉鎖は、指導者の急逝と時代の激変が重なった相撲界の悲運な出来事でした。しかし、外国出身初の部屋創設から横綱・曙の誕生、そして国民的人気を博した高見盛の活躍に至るまで、東関部屋が角界に刻んだ功績が色あせることはありません。

その伝統と魂は、八角部屋へと移籍した親方衆や力士たちの中に確かに息づいています。土俵の歴史を彩った名門部屋の歩みは、これからも相撲ファンの心に深く語り継がれていくはずです。 (出典: 東関 部屋(Yahoo!ニュース)

東関 部屋
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